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木村綾子 インタビュー

木村綾子インタビュー後編 「積み木みたいに、子どもが最初に触れるおもちゃは木だったらいいなって思います。」

さまざまな分野でマルチな活動を展開している木村綾子さんに、木と触れあう生活について聞く第2回。
国産材について考えることは彼女の記憶を刺激し、やがてはいのちのつながりや大きな力に生かされている自分という思いにまでおよんだ。そして今、身近なことから始めるエコロジーを意識している、と語る。

──ふだんの生活の中では、木の話なんてあまり出ないんじゃないですか? 出ないですねえ。だから、以前に間伐材の話をうかがった時、間伐というのは大事なことなんだ、と聞いても最初はあんまりしっくりこなかったんです。だから身近なことに置き換えてみようと思ったんです。
それで思い出したのが、20歳のときに、北海道の牧場にアルバイトをしに行ったことなんですよ。その時には牛の世話だけじゃなくてとうもろこし畑の作業を手伝ったりもしたんですけど、そこでいい実をみのらせるためには育ちが悪いものを抜いてあげなきゃいけないんだと言われたんです。それって間伐みたいな作業ですよね。その間引きの仕事を手伝ったんですけど、初めてやったときにはなんかすごく嫌な気持ちがしたんです。せっかくここまで育ってるし、まだこれからも大きくなろうとしてるのを終わらせてしまうなんて、と思って。でも、それは隣のとうもろこしを大きくするためだったりするし、その先にはわたしたちがそれを食べるわけだし、牛もそれで生きるんだっていう。そのために犠牲になってしまうものがあることを受け入れること、しかもその作業を自分の手でするっていうことですごく心にくるものがあって、嫌だったんですよねえ。やらなきゃいけないんだけど…

──すぐには馴染みにくい意識かもしれないですね。 それでも、そういうものによってわたしたちは生かされてるんだっていうことですよね。そういうつながっていくものによってわたしは生かされて、そういうふうにして循環になってるんだ、っていう。間伐の話を聞いたときに思い出したのはそのことです。そういうことは、対象が苗であったり雑草の場合だってあるんだと思うんですよね。たまたま間伐の話の場合は木だというだけで。対象が大きくなればなるほど、やってはいけないことなんじゃないかみたいな自分のなかの罪悪感とか踏み込む勇気も大きくなっていくと思うんですけど。そういうものは、じつは木だけじゃなくて生活の中のいろいろなところに隠れてて、そういうことを人間は生きるために選んでいかなきゃいけないんだなって。
今回、こんなふうに木について考えるという機会がなければ、間引きをした経験がよみがえってくることもなかったと思うし、犠牲になるものとかそれによって生かされてるとか、そういうことも思わなかったと思います。いろいろな意味で、間伐の必要性とか、国産材について考えるいいきっかけを与えてもらいました。

──木から産まれるもので、木村さんがいちばん興味があるのは? わたしは本をすごく読むんですけど、本とか紙ももともと木じゃないですか。だから、間伐紙で作られた本がもっと普及したら、“この本は間伐紙で作られてるんだよ” “間伐材って何?”っていうふうにたどれたりすると思うんです。だから、そういうものがもっと増えたらいいなって思いますよね。間伐紙で作られた本にはすごく興味がありますね。
それから、おもちゃとか子どもが遊ぶものは木であってほしいなと思いますね。子どもって、たとえばそのあたりに落ちてる木の棒でもおもちゃにしちゃうじゃないですか。そういう感覚が今の子に残されているのかなってふと思って、そのとき話した子どもたちに、“どんなことして遊んでるの?”って聞いたら“ゲーム”って言うんですよね。おねえちゃんが小さい時は隣の山でターザンとかしてたんだよって話したら“ダセ~”とか言いながら、“そんな山もないし、やりたくてもできないよ”ってことも言ってて。だから、ゲームで遊んでる子たちも、そういうもので遊んでみたいっていう好奇心は残されてるんだなとわかりました。だからやっぱり積み木みたいに、子ども最初に触れるおもちゃは木だったらいいなって思います。
来年、ウチのお兄さんに子どもが生まれるんで、そういうおもちゃをプレゼントしたいなって思ってるんですけど。わたしが小さいときは、お父さんが積み木を作ってくれたり、犬の小屋を裏の山から切り出してきた木で作ってくれたりしてたんで。今の私の環境だと、裏の山から切ってきた木でブランコ作ってあげたりとか、そんなことは絶対できないですけど(笑)、できないながらも木には触れさせてあげたいと思いますよね。
エコロジーとかサークル・オブ・ライフとかって大きく考えちゃうからできることは少ないと思いがちですけど、気持ちの持ち方次第でできることはいろんなところにあるんじゃないかって最近思い始めました。

──では、ますます身近なところで木に触れてみるのがいいかもしれませんね。 そうですね。木でもなんでも触れることでいろんなことがリンクして、“あっ、これもエコロジーってことじゃん”って思えたりすると思うので。大きく謳うよりも身近なことからっていうのがいいかなって思います。

──木村さんの場合は特に、小さい頃の原体験が大きいようですね。 それは最近気づき始めました。思い返したときに、わたしには思い返せる思い出があるっていうのはありがたいことなんだっていう。

──ただ、そういう思い出のもとになった山の森が荒れてしまっているという現状があります。 発展と上手に調和していくといいですよね。無理してもしょうがないですもんね。原始的生活とかしようとしても無理ですから。国産材を使うことも、できることからやっていけばいいんじゃないかなと思います。

──そうすることのなかにつながっていくものがある、ということですね。 ウチの裏の山にはすごく大きな山桜があって、その山桜を切るときにはちゃんとおはらいをしたりしたらしいんですけど、そういう気持ちがあるんだって思って。知らなかったんです。わたしは親が話してくれたから知ることができたし、この先そういうことがあったとしたらわたしも引き継いでいきたいと思えたんで。そういうことがあったということ、あるいはその思いだけでも伝えていくことがいつかどこかで同じことがくり返されるときにつながっていくのかなあって思って。だから、そういう山桜の話を聞いたりすると、あらためて生かされてるんだなあと思います。

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木村綾子

1980年7月19日静岡県生まれ。
趣味は、読書、文章を書くこと、食べること。
明治大学政治経済学部経済学科卒業後、中央大学大学院文学研究科国文学専攻博士前期課程。大学入学とともにモデル活動を始める。
『SEDA』での連載、『PS』でのライター業を経て『国文学 解釈と鑑賞』論文執筆、作詞活動など文筆業も幅広く行う。