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武田双雲 インタビュー

武田双雲インタビュー前編 「僕が書道の本質のところで認められてきたのはこの家のおかげだと思う」

話題の映画「春の雪」や吉永小百合主演作品「北の零年」を題字を手がけたり、FUJI ROCK FESなどのイベントで書道パフォーマンスを披露するなど、従来の書道家をイメージを超えた多彩な活動で注目の人である。
が、書を通して人間や自然の本質と向き合うその精神の有り様はむしろ王道を歩む人、とも言えるだろう。そんな彼の活動のベースを育んだと本人も認める、湘南の彼の書道教室の建物は築数十年の木造日本家屋だ。暖かな12月のある日、その家の縁側に腰かけて、このなんとも味わい深い木造の家とたくさんの木に囲まれた庭の魅力について聞いた。

──この家を初めて見た時の印象はどんな感じだったんですか? ひと目惚れですよね。完全に。言葉には表しようがない。今思うと縁だったのかなとも思うんですけど。衝撃的な感動ではないわけですよ。ファッションとかデザインとは違うので。なんとなく、ここがいいっていう。ここしかない!っていう感じじゃないんだけれども、”もう、ここに決めたもん”っていう(笑)。
そういう自然な感じで始まって、最初はここにずっと住んでたんですが、居れば居るほどいろんなものが見えてくる、ここにいろんな生命体が居るっていうことがすごい衝撃でしたね。虫、鳥、猫が集まってきて…。猫の糞も最初は臭いと思ったけど、何日かたてばなくなるし。誰が食べてるんだろうって思うんですけど(笑)。
蜘蛛の巣がはって、そこに虫がつかまってるとか、蟻地獄が蟻を待ってるとか、雨が降ったらカエルがどこからともなく出てきたりとか、そういう当たり前のことというか、地球上で起こっていることのミニ版がここにあって、落ち葉が落ちることさえも不思議に思える場所ですよね。なんで花が咲くんだろうとか、木が枯れたけどそもそも枯れるっていうのはどういうことだろう?とか。生きてる時と枯れて死んでしまった時と、どの瞬間がその境目なんだろう?とかね。そんなこと、人間にとっても永遠の問いだろうと思うんだけど。じゃあ、植物と人間の違いは何だろう?とも思うし。人間の見方で”枯れた”って言うけど、魂はまだあるのかな?って。花が咲いたり木が枯れたりするだけでも、そんなふうにいろんなことを考えます。

──しかも、そういった思いが自然に浮かんでくるわけですね。 花の名前なんかでも、普通は覚えなきゃって思っちゃうじゃないですか。勉強として、義務として、花を見ちゃうことが多いけど、ここでは素朴に右脳で感じるような哲学的なことを、それは僕でなくても誰でもここに居れば感じられるような気がするんですよね。教えられるものじゃないし、言葉で伝えられるものではないので。だから、僕の書道家としての作品性だとか、今認められている部分にはすべてこの木造の家が関わっていると思う。
もしマンションに住んでいたら、絶対今のようにはなっていないと思うんですよね。すごくモダンな感じでベンチャー企業と組んで何かをやっているかもしれない(笑)。でも、そうじゃなくて、書道の本質のところでの認められ方をしてきたのは多分この家のおかげだと思う。やっぱり、日々の住まい、だと思うんですよね。どういうところに住んで、どういう思いで毎日歯を磨き、食事をし、人と話しているのかっていうことが作品になっていくのであって、決して技術だけの話ではないから。芸術家にとっても住まいっていうのは最も重要なもののひとつなんじゃないかなあと思います。

──この家の木の具合について思うことは? 年季にはかなわないっていうか、仮に僕が大金持ちで今似たようなものを建ててもこの感じは出せないですからね。時を経て出てくる木材の年季はすごいですよ。

──住んでいるときにはこの家の木の感触というのは意識していましたか? いや、意識してなかったですね。逆に、意識しないのが面白いんじゃないですかね。外に居るのと何も変わらない感じで、家に居るというよりも自然の中に居る感じのままですよね。外から中に帰ってきたという感じがしないっていう。意識として、家の中と外がないっていうのが正しいかもしれない。
マンションに住んでたときは、部屋に帰って来たっていう感じですよね。カギをガチャンと閉めて、さあ、人間の生活をするぞ、みたいな。でも、ここに居ると、帰ってきたという感じではないんですよ。ちょっと言葉で説明するのはむずかしいけれどそれがすごくいいんですよね。木だったらなんでもいいってことでもないんでしょうけど。作り手の意図と年季って要素があると思うんです。やっぱり、意図なしに作るっていうのは無理じゃないですか。いま新しく家を建ててるんですけど、自然にっていうのはむずかしいですよね。どうしても人間の意図が入るから。

──家を探している時には最初からこういう家を探していたんですか? いえ、なんにも考えてなかったです。ただ書道教室を開きたい一心で。

──見て初めて、ここがいいと? ああ、こういうところでやってみたいなあっていう。だから、繰り返しになりますけど、マンガみたいにここだ!みたいなことはなかったんです。ただ、イメージがわいたんですよね。ここに生徒さんが来て筆を洗っているような光景とか。ここは家にしても庭にしてもモダンなファッションだとか流行だとかそういうこととは別に本質に向かっていってたまたまこういうふうになってるっていうだけで、奇を衒ってないじゃないですか。だから、見た目の衝撃っていうのはないんですよね。来て、住んで、いろんな人が交流しているなかでわかってくる何かっていうものがありますよね。素材にしても、頭で考えるんじゃなくて、なんとなく伝えられて残ってきたものだから、この縁側には杉の板をはめるっていうこともそうなんだろうと思うんですけど。

──この家の魅力を説明することはなかなかむずかしいですね。 この家に住んでみての良さっていうのは数値では絶対表せないですからね。数値で表せるようなこと、科学的なデータで言えば、現代的な素材を使った建物のほうがいいところはたくさんあると思います。だいたい、妻はここで住むと寒いって言うんですけど(笑)、妻だけじゃなく現代人は寒さにしても手の汚れにしても、嫌なものは全部排除するじゃないですか。でも、たとえば冬は寒くていいと思うし、夏は家の中でも汗かいてればいいと思うんですよね。そういうことがあったとしても、いいとしか言い様がなかったんですから、この木で造られた家は。(後編へ続く

武田双雲

昭和50年熊本生まれ。3歳から書を叩き込まれる。
母である武田双葉に師事。
2003年・上海美術館より「龍華翠褒賞」を授与。イタリアフィレンツェ「コスタンツァ・メディチ家芸術褒章」受章。
フジロック等のイベントにて、数多くのパフォーマンス書道&筆文字ワークショップを実践。様々なアーティストとのコラボレーションを実践。 吉永小百合主演映画「北の零年」、三島由紀夫原作映画「春の雪」の題字など数々の題字を手がける。
斬新な個展、作品で多くの人々を魅了する書の新しい領域を開拓し続ける。
・著書「「書」を書く愉しみ」(光文社新書)